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2006年03月01日

今日は、ショパンの誕生日かもしれぬ (年齢詐称疑惑あり?)

ピアノの詩人・ショパンは、1810年3月1日生まれです。 たぶんね
ショパン本人が そう言ってたことだし、毎年3月1日に お誕生日会やってたって話だし、まぁ、そういうことにしておきましょうよ! ってことでして・・・
他に、2月22日生まれ説、1809年3月1日説なんてのが、ございます。

フレデリック・フランソワ・ショパン
   (1810.3.1 ワルシャワ近郊 − 1849.10.17 パリ)  ポーランド

1809年3月1日説は、
ショパンが 子供の頃に作曲した楽譜に、日付けと年齢が書き込んであって、この証拠が目に入らぬかぁ! なんだとか。
ショパンの妹が、彼の死後 「えー、お兄ちゃんは、1809年生まれだよー」 って言ってた という ウラもあり。
こちらを推してる学者さんも多いみたいですが、私としては、シューマンと同じ 1810年生まれの方が 覚えやすくて好きだなぁ。 え? 好き嫌いの問題じゃないってか?
まぁ、私も都合が悪い時は、自分の生年 よく忘れます(笑)。

2月22日説は、
ショパンの死後50年たった時に、洗礼証明書が発見され、そこに、1810年2月22日生まれで 4月23日に洗礼をうけた、と記録されてたから、あらら大変。
これは、父親の申告による出生日とされていますが、こーゆーのは、違う日に変えたりすることもよくあるじゃないか!って考えの学者さんが多いようです。
洗礼名は、フレデリク・フランチシェク・・・と、ポーランド語。

ショパンは、ポーランド ワルシャワから50キロほど離れた ジェラゾヴァ・ヴォーラ村で 生まれました。
  父は、フランス人。 代々、ブドウ栽培なんかをしてた フランスの農民の家系。
  母は、ポーランドの貴族の出
父ニコラさんは、16歳の時に フランスから 何故かポーランドに移住。
(終生フランスに行くことは ありませんでした。 息子がパリに住んでからも)
スカルベク伯爵家の家庭教師として住み込んでいた時に、伯爵の遠縁で スカルベク夫人の侍女をしていた母ユスティナさんと恋に落ちて♪
ショパンの生家は、このスカルベク伯爵邸の別棟にあり、第二次大戦後に修復されて、現在は 記念館になっています。
ショパンが生まれて半年後くらいに、一家は ワルシャワに お引越し。
パパは、新設された高校のフランス語、フランス文学の教師になりました。
学校があった宮殿の別棟に住み、やがてフレデリック少年も、この学校を卒業し、ワルシャワ音楽院へとすすみます。
母親が弾くピアノを聞いて育ち、最初は、この母や 姉から ピアノを教えてもらったのだとか。
3歳年上の姉ルドウィカの他、ショパンの下には、年子で イザベラ、エミリアという妹が二人います。
末子のエミリアちゃんは、14歳で 結核で亡くなっています。
兄の未来の姿と同じく、咳きこみ、喀血し、やせ細って・・・
ショパンも、子供の頃から病弱で、青白い顔をして、女性のように 華奢で小柄な人だったと伝えられています。
25歳くらいの時には、喀血し、一時は 死亡のニュースが飛び交うほどでしたが、その後も 結核の療養をしながら 作品を残し、演奏会をし、生徒をとり・・・、でも、39歳で とうとう力尽きてしまいます。 ショパンさんも、早死にですね。

現在、みんなが呼んでる フレデリック・フランソワ・・は フランス名。
ポーランド生まれで、ポーランドの作曲家とされていますが、ワルシャワで独立を求めて暴動が起こる直前 20歳で祖国を離れてから、とうとう 一度もポーランドに戻ることは ありませんでした
革命絡みで 帰れない事情があったのでは? との見方もあるようです。
当時 ワルシャワは、ロシアの支配下にあり、(だからロシア国籍だったらしい) 反乱に加わった人物なんかとも交流があったショパンは、にらまれてた可能性があるのでは? と。
本人も、「父の重荷になるから帰れない」 的な発言をしてたり。
結局、ウィーンなどを経て、21歳からは ずっとパリを拠点に活動、パリで亡くなります
遺体は パリ モンマルトルの近く、ペール・ラシェーズ墓地に 埋葬されましたが、遺言で 心臓だけは、ワルシャワに 帰りました
ショパンの心臓は、今でも ワルシャワの聖十字教会で 眠っています。

何故か出国後 フランスに二度と近づかなかった父と、二度とポーランドに近づかなかった息子。
ショパン25歳の時に ボヘミアで再会したのを最後に、両親には会えず・・・
帰りたいのに、帰れなかったのかも・・・
あぁ、なんか書いてて、かわいそうになってきちゃいました。 うるうる。
お誕生日だったのに、死の話まで書かなきゃよかったかも。 ぽろり。

ショパンについて、参考文献
カラー版 作曲家の生涯 ショパン  ショパンやその家族、家、交流のあった人々の写真や肖像画の他、自筆譜、使用してたピアノ、ショパンが描いたマンガ(風刺画)まで載ってます。この値段で この写真ページの充実ぶりは 驚くばかり!
恋する作曲家たち  ショパンに限らず、いろんな作曲家さんの恋愛にまつわる話が 赤裸々に書かれています。 よく発禁にならなかったなぁという。 聖人君子のイメージを壊したくない人は読まない方がいいでしょう。

うちでも、ショパンの曲について ご紹介しています
 ・明治ショパンCM曲は? 16歳のポロネーズ 「ポロネーズ 第15番 遺作」
 ・クラシック普及? フィギュア選手たちに感謝 「幻想即興曲」
 ・戦場のピアニスト で使われてたあの曲は何? 「夜想曲 第20番 遺作」
 ・明治 ショパン第5番 チョコレート、本当は12番 「革命のエチュード」
 ・太田胃散 のCM曲って? 「前奏曲 第7番」
 ・ショパン第7番チョコレートのCMは嘘つき? 「幻想即興曲」
 ・ショパン作曲、雪の降る町を〜♪!? 「幻想曲」
 ・ショパン 前奏曲第7番 イ長調 [Op.28−7] ← 和音の弾き方についてです




posted by ドルチェせんせ at 21:04| Comment(8) | TrackBack(0) | 音楽おもしろネタ帳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ドルチェせんせ、こんばんは!
へえ〜、ショパンって結構不遇だったんですね。
39歳で亡くなったということは・・・・。
げっ!俺もあと数年だ!早く、独立して悠々自適の生活しなきゃ!死んでも死にきれん。。。!

と、ショパンのような鬼才と比べること自体が間違っているか(笑)

ちなみにウェブリブログ、私の予告どおり、機能がパワーアップしましたぞ。音声もアップできるようになったし、『お友達リスト』みたいのも作れるみたいだし。プロフィール欄も増設!
めいちゃんの『なんちゃって音楽歴』を書いてみたので、よろしかったら覗いてみてケロ!!
Posted by めいちゃん at 2006年03月02日 00:12
あ、めいちゃんのサイトに遊びに行って帰ってきたら、めいちゃんが遊んでくれてる!
シューベルトや、モーツァルトだったら、「おまえはもう死んでいる」状態?
ぜひ長生きしていただいて、共に白髪が生えるまで、ドルチェばぁさんと遊んでやってください。
シーサーも音声とかできるらしいのですが、なにやら難しそうで恐ろしくて、のぞきにいったことすらありませぬ。情けない。
ウェブリは、お友達機能が充実してて、楽しそうですね。
よそものからすると、どこからコメントしていいやら迷うのですが、おかげですっかり慣れました。
今日、ウェブリはコメントに字数制限があることを発見しました。長話しようと思ったのに、残念。
Posted by ドルチェ at 2006年03月02日 01:54
ドルチェ先生、初めまして。
めいちゃんさんのところから寄せていただきました。
とっても豊富な内容で、ビックリしました。とても勉強になります。
また訪問させてくださいませね。
よろしくお願いいたします。
Posted by なららさくらら at 2006年03月02日 22:00
なららさくららさん、
めいちゃんせんせのとこから遊びに来てくださったんですか?
わーい、ありがとうございます!!
めいちゃんのところでお見かけして、きれいなお名前だなぁと思ってたので、記憶によく残っています。
お名前のみならず、語り口調もとても上品で、がさつな私とは大違いだなぁと(笑)。
ご同業ですよね? ぜひぜひ、これからも、仲良くしてくださいませ。
Posted by ドルチェ at 2006年03月03日 02:13

あっ、なららさくららさん発見!!


えっへん、ドルチェ姫、お客様をお1人、ご案内したぞよ!
そろそろ、私と『クイーンアリス』に行く気になってくれたかね?がっはっは!!


ところで、先日は、遊びに来てくれてありがとー!!
また、待ってるぜ、ハニー!!
Posted by めいちゃん at 2006年03月04日 00:43
めいちゃん王子のおかげで、素敵な出会いがありました。
もう、地獄の果てまでついてくわ!
あ、その前に、トゥーランドット姫みたいに、3つのなぞなぞ出さなくっちゃいけなかった。
また、遊びに行くね。 結構読み逃げしてる日もあります。眠くて。
Posted by ドルチェ at 2006年03月04日 02:06
ショパンが1810年生まれだとすると、ローベルト・シューマンと同じ年生まれなんですよね。音楽史上では、結構同じ年に生まれたライバルが多くて、例えば、J.S.バッハとヘンデルとD.スカルラッティ(1685)、ワーグナーとヴェルディ(1813)などが有名です。

で、シューマンは、生年がショパンと同じで、没年(1856)がモーツァルトの生誕100年にあたっている(つまり今年2006年が没後150年)ので、どっちにしても影に隠れてしまうかわいそうな奴です(^^;)
Posted by tn at 2006年03月21日 11:58
ん? あなたも、そうとう好きねぇ(笑)。私も好きですが、雑学。
ほんと、天才豊作な年ってあるんでしょうか。 1685年は区切りもよく、覚えやすいんで助かります。
バッハ以外の没年は、特に暗記させられないので、あまり気にしてないんですが、そっか〜、シューマンも記念イヤーだったのね。 ショスタコも今年、隠れちゃった可哀想な一人らしいですね。
日本では、モーツァルトとベートーヴェンばかりが異様に騒がれてる気が・・・
ビゼーと誰かが、誕生日、命日ともに一緒(年は違う)ってのが、よく雑学ネタで出てくるんですが、誰だか忘れてたのを思い出しちゃって、気になってたまらなくなってきちゃったわ。
Posted by ドルチェ at 2006年03月22日 03:28
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